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松下電工を傘下に収めた現在、2006年度の総売上高では初めて9兆円を超え日立製作所に続き日本で2番目、地上デジタルテレビの分野では業界1位の電機メーカーである。
また、同じ大阪に本社を置く三洋電機・シャープと並ぶ在阪家電メーカー・老舗の一つ。
関連会社も含め、家電製品の他にも、産業機器、通信機器など電気機器を中心に多角的な事業を展開している。近年は、あまり宣伝されていなかったノートパソコン「Let's note」がビジネスマンを中心に人気となっており、テレビCMも放映されるようになった。この「Let's note」の人気には、おそらく最近力を入れている軽量化・長時間バッテリー駆動の成果であるといえる。
その経営スタイルや社風から、同業のソニーとの比較をされることが多く、ソニーが好調の際にはソニー型経営を褒め称える書籍が増え、逆の状況では松下電器型経営を褒め称える書籍が書店に並ぶなど、良きにつけ悪しきにつけ、世間では両社をライバルだとみなす傾向が強い。これはVTR機でのベータ・VHS競争の印象が強いためだと思われる。確かにオーディオ・ビジュアル製品では、現在でも両者は直接の最大のライバルのひとつである。しかし、松下電器の販売製品全体の中でソニーと競合する製品は多くなく(特にソニーは白物家電を販売していない)、これは映画事業やゲーム事業・金融事業へと展開するソニー側から見ても同じことが言える(松下は映画事業やゲーム事業に一時参入したが早期に撤退している)。実際には松下電器にとって最も競合する電機メーカーは三洋電機であり(携帯電話、乾燥洗濯機、食器洗い乾燥機、カーナビゲーションシステム、液晶プロジェクター、充電池、自転車など多数の分野で競合する。皮肉にも創業者の井植歳男が松下電器の出身である)、松下にとってソニーは三洋、東芝に次ぐライバルとなる。そういった意味では、こうした松下vsソニーのような比較は、現在では的を射ていないと言えるだろう。 現在の戦略は様々な規格で日系他社と争いつつも、一方で分野によっては(液晶パネルなど)東芝や日立・ミネベアなどと提携・合弁・事業移管を行うなどの動きも見せている。
戦後間もない、またTV放送開始以前の1952年より「歌のない歌謡曲」というラジオ番組で松下製品の宣伝をするという、当時としては型破りな手法を大手電機メーカーで初めて開始。これはのちに我が国で初めて、また現在は国内最大の地域電器店ネットワーク「ナショナルショップ」発足への足がかりとなる。この成功を機に同業他社もラジオ番組のスポンサーに相次いで就任したが、業績低迷や競争激化により降板。現在ラジオで電化製品の大規模宣伝をしている大手メーカーは松下のみである。
また、夏と冬のオリンピックの公式スポンサーで、1988年のカルガリー冬季五輪から始まり、同年のソウル夏季五輪、1992年のアルベールビル冬季五輪・バルセロナ夏季五輪、1994年のリレハンメル冬季五輪、1996年のアトランタ夏季五輪、1998年の長野冬季五輪、2000年のシドニー夏季五輪、2002年のソルトレイクシティー冬季五輪、2004年のアテネ夏季五輪、2006年のトリノ冬季五輪、そして2008年の北京夏季五輪まで夏季・冬季連続で12大会連続・20年連続でAV機器カテゴリーのTOPスポンサー(「The Olympic Partner」の略。最高位のオリンピックスポンサーのこと。日本企業では松下電器産業のみ)を務めている。
また知財活動も盛んで、米国出願件数では、IBMに続き、毎年、キヤノンと出願件数を争っており、技術力の高さも窺える。
現在では薄型テレビ、デジタルカメラ、DVDレコーダーの新・三種の神器に力を入れて製造・販売している。かつては、他社が取り入れた評判のよい技術をすぐに自社製品化して対抗商品を開発するため、「真似した電器」とも揶揄されていたが、現在は独自技術中心とする経営理念に変更している。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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